運命の牛『はつみ』

初めての牛、『はつみ』の引退

うちの放牧地に、初めての牛がやってきたのは2007年の春。競りで購入した1歳の雌、『はつみ』でした。そんな彼女は、ほぼ1年1産のペースで、15年間連産した後、2023年10月に引退となりました。引退の理由は15産目の時に極端に痩せてきて、これ以上の出産はリスクが高いと判断したためです。初めて導入した牛で、しかも、最も長く活躍した『はつみ』でしたが、泣く泣く、競りに出して手放しました。年老いて引退した母牛は通常、老廃牛と呼ばれ、半年ほどの肥育の後に食用、あるいはそれが難しい場合はその他の用途のために屠畜されます。つい先日まで、きっと『はつみ』もそうなったのだろうと思っていました。

なんとなく『はつみ』がどうなったか、個体識別番号で追跡。

黒毛和牛には登録制度があり、一頭一頭、個体識別番号が当てられていて、牛の個体識別情報検索サービスというサイトから、出荷後の情報を得ることができます。今月の競りを終えて、出荷した牛がどこに買われたかを調べるついでに、なんとなく、他の牛がどうなったかを調べたのが今回の事の発端でした。「あの子は京都、あの子は佐賀で。」そんな感じに個体識別番号を打ち込んでは確認を繰り返して、「みんな順調に肉用牛の役目を果たしていったんだな、えらいな。」と感慨に浸っていると、『はつみ』は出荷後、1年以上たった今も、まだ生きていたのです。しかも、車で5分足らずのすぐ近くの農場にいるようなのです。

『はつみ』を探しに

『はつみ』の引っ越し先は、株式会社JAPAN FARM PARTNERという、大きな農業生産法人。きっと探すのは無理だろうなと半分諦めつつも、いつ、家畜としての役目を終えてしまうかも分からない、あの『はつみ』が、まだ生きていると知ったら、いてもたってもいられず、すぐ近くだし、探しに行くことにしました。まずは、ネットの情報どおり、良く知った近所の畜舎へ。外から偵察した後、勇気を出して、作業を終えて雑談している年配の男性2人のところまで行き、事情を話してみました。すると、「ここは育成牛(離乳~肥育前までの牛)さ。老廃は放牧地に行ってるはずよ~」と快く教えてくれました。教えられたとおり、車を走らせるも、放牧地は3つくらいあって、とてつもなく広く、また、雨も降ってきてしまい、流石にこれは探しきれないなと、私は諦めてしまいました。それでも、帰りの車で妻が「双眼鏡があったら探せるかもね。」と言っていたので、「もう一度だけ・・」と思いなおしたのです。

双眼鏡はいづこへ

翌朝、仕事へ行く前に、妻が「双眼鏡どこ?」というもので、「畑においてたんじゃないかな。」と私。でも、車に荷物を積んでいるうちに、忘れっぽい私の脳裏に「使ってないあのカバンの中だ」という指令が舞い降りて、ギリギリ出発寸前に発見しました。今思うと、この発見は、何かの運命に導かれているかのような出来事でした。

もう一度、例の放牧地へ。そして。。。

午前中の仕事を早めに切り上げ、朝見つけた双眼鏡を手に、再び例の放牧地へ向かいました。何かに導かれるように、前日とは逆のルートで崎枝半島を回り、前日最後にみた放牧地の脇に車を止めたのです。そこには100mくらい離れた場所に1頭だけ牛がいて、さらに奥の樹の下に、数十頭の牛が休んでいました。私は早速、双眼鏡の準備をし始めました。すると、妻が、「手前にいるの、あれ、はっちゃんじゃない?」というのです。

スマホに双眼鏡を当てて撮影。
鮮明な画像は残せない距離でした。

双眼鏡を覗くと、あんなに遠くで不鮮明で、1年以上も会っていなかったのに、何故か、私にも「あれ、はつみだ!」とわかってしまいました。でも、こんなに遠くで、分かるものでしょうか。自分でも信じられないくらい、彼女だということに確信がありました。「でも、そんなことは、ありえない、似た牛もいるよね」と、自分に言い聞かせていると、妻が、「呼べばくるはず。 はつみ~、おいで~!!!」と呼び始めたのです。

ついに、運命の再会。

妻が呼び始めると、手前に一頭だけいた牛が返事をするようにひと鳴き。するとその声に反応して奥の樹で休んでいた牛達も立ち上がり、徐々にこちらへ近づいてきてくれました。

先頭で皆を誘導する『はつみ?』
皆を待ちながらゆっくりと近寄ってくる

いよいよ、近づいてきて、双眼鏡を覗き、耳タグに書かれた個体識別番号を照合しました。

0146339798 下5桁を確認するのがやっとでしたが、39798で間違いありません。ここまでくると、顔でわかります。もう間違いありません。本当に、1年1か月ぶりに彼女に会うことができたのです。たくましく、穏やかに生きている彼女を見て、ほんのり涙がこみ上げてきました。

感動の再会を終えて

18歳の『はつみ』。13か月ぶりに再会した彼女は、確かに、たくましく、穏やかに生きていました。繁殖母牛としても役目を終え、広い放牧地で、たくさんの仲間と悠々自適の生活。彼女は、名前を呼ぶと、耳だけをこちらへ向け、海が見えるうちの放牧地を懐かしむように、光る海を眺めていました。今後、彼女がどういう役割のために、どういう余生を過ごすのかはわかりませんが、この放牧地なら、彼女を安心して彼女を任せられると思いました、手放して見捨てておいて、勝手かもしれませんが、これで良かったんだなぁと安心しました。

最後に

最初に導入した牛だったこと、なんとなく調べた個体識別番号、買われた先が近所、見つけられた双眼鏡、そしてなぜか一頭だけ手前にいた『はつみ』。どの一つが食い違っていても、あの日の再会はあり得ませんでした。こんなに偶然が重なることってあるんですね。

そして、この日は奇しくも、私たち夫婦の結婚記念日でした。『はつみ』は私たちのウエディングフォトブックにも、亡き祖母を石垣島へ迎えた時につくった記念フォトブックでもその姿が収められています。『はつみ』は、私たち夫婦にとって、本当に忘れられない、不思議な運命の牛となりました。

本日は、石垣島の崎枝半島で起きた小さなドラマをお伝えしました。風光明媚な崎枝では、今日も、まだ誰も知らない、素敵なドラマが起こっているかもしれません。あなたも、そんなストーリーの主人公になりに、崎枝を訪れてみてはいかがでしょうか。ただし、くれぐれも、観光のマナーは守るようにしてくださいね。最後まで、読んでくださり、ありがとうございました。

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